800年前にタイムスリップ

直実公と生きた熊谷の武士たち

           私たちが暮らす熊谷の地、直実さんが生きた時代から、はるかな歳月が流れていますが、
          まだその地名に平安末期から鎌倉の匂いを感じることができます。その末裔の方はほとん
          ど市内にはおられません。身近なお寺や神社の履歴の中に記録を残すだけとなりました。
           ところで源平時代、武蔵武士として活躍したのは熊谷直実さんだけではなかったのです。
           特に有力だったのは、直実の叔父・久下直光(東竹院・写真@)。鎌倉幕府の要となる
          「貞永式目」の作成メンバーで、評定衆の一人・中条家長(常光院・写真D)。後に、行
          田の忍城の城主となった成田氏(龍淵寺・写真C)。その成田氏の一族から別れた箱田氏
          (箱田神社・写真B)。直実の配下で活躍した親族の肥塚氏(肥塚稲荷神社・写真A)。
           この他にも同じく親族の市田氏(大里)、成田氏から別れる奈良氏、玉井氏、別府氏な
          どがいました。また、石原氏、原島氏もこの時代に活躍した武士団でした。近在では川本
          の畠山氏、岡部の岡部氏、妻沼の斉藤別当実盛もいます。この実盛公は直実より30才も年
          長でその武勇と品格は群をぬいていたようです。又、畠山重忠公と中条家長公は直実より
          も24才位年下ですが、その力量は鎌倉幕府にあってもエリート的存在でした。熊谷という
          町にはかつてこんなに元気な武将たちが暮らしていたのです。