第二幕:文学演劇にみる直実さん
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話しているうちに、突然、奥の間から「我が子の敵、熊谷やらぬ!」 と敦盛の母藤(ふじ)の方(かた)が斬(き)りかかります。熊谷と相模 は、その昔、平家に仕えており、藤の方は二人が夫婦となるのに協 力してくれた人でした。熊谷は、「最後まで母親のことを心配して いた。立派な武士だった」と敦盛の最後を語ります。 藤の方は嘆き悲しみますが、戦場のことと諦め、敦盛の供養にと形 見の"青葉の笛"を吹きます。すると、障子に敦盛の影が浮かび上が ります。藤の方は、嬉しさに障子を開けて見ると、そこには鎧(よろ い)があるだけでした。 熊谷が、敦盛の首を義経(よしつね)のところまで持って行こうとす ると、奥から義経が現れ「ここで首実験をする」と言います。熊谷 は、立ち上がって庭の制札を引き抜き、義経の真意は「一子を切ら ば一子を切るべし」(敦盛の身代わりを切れ)であると理解して打 ったが、この首で間違いないかと首桶(おけ)の蓋(ふた)を開けます。 その桶の中から現れた首は、敦盛ではなくて熊谷の子小次郎の首だ ったのです。相模と藤の方が驚き近寄ろうとするのを、熊谷は「首 実検が済むまで待て」と二人を制札で押さえます。 義経は、小次郎の首であることを承知しながら、「敦盛の首に違い ない」と熊谷を誉(ほ)め、「その首に縁のある人がいるだろうから、 見せてやれ」と言います。相模は、我が子の首を胸に抱き嘆き悲し み、その場に泣き崩れてしまいます。 義経に出陣の用意をと促された熊谷が奥に入っていくと、入れ替わ りに梶原平次影高が現れ「敦盛を助けたことを、大将の源頼朝(みな もとのよりとも)に報告する」と鎌倉めざして駆け出していきますが、 どこからか飛んできた石鑿(いしのみ)にあたり死んでしまいます。 その石鑿を投げた弥陀六が「邪魔者は片付けました」と去ろうとす ると、義経は「お前は弥平(やへい)兵衛(びょうえ)宗清(むねきよ) だろう」と見破り、「自分がまだ3歳だった時、母や兄ともども伏見 (ふしみ)の里で凍え死ぬところを、お前の情けで親子4人が助けられ た。非常に嬉しかった。その後どうしたかと心配していたが、元気 でよかった。満足、満足。」と言います。 宗清は「あの時に、お前達を助けなければ平家の滅亡はなかった。 悔しい」と嘆き、その場にうずくまってしまいます。そこで、義経 は宗清に「娘(平重盛(たいらのしげもり)の娘で小雪(こゆき)とい い、敦盛を慕(した)っている)に届けてくれよ」と鎧(よろい)櫃(び つ)を与えますが、娘に鎧櫃とは変だと思い開けてみると、その中に は敦盛が入っていたのです。しかし、言葉に出すことはできず、宗 清は義経の厚意に感謝し、熊谷に深々と頭を下げます。 かねて義経に暇乞い(いとまごい:ひまをもらうこと)をしていた 熊谷が鎧冑(よろいかぶと)を脱ぐと、その中は、法衣(ほうえ)を身 につけた坊主頭の姿になっています。義経は、その姿を見ると、自 分の父母の供養も頼むぞと言い、熊谷の出家(仏門に入ること)を 許します。熊谷は、「これからは"蓮生(れんしょう)"(実際は"れん |
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