【H30年度第3種】中近世京都日蓮教団僧侶の学的紐帯と教義思想に関する研究:広蔵院日辰を中心として                         

担当:

仏教学部 助教(現職) 神田大輝

内容:

上記支援費をもとに、室町時代戦国期、日蓮教団における学問的紐帯、特に広蔵院日辰(1508-77)とその周辺僧侶との繋がりに注目し、下記2項目の視点から研究を実施した。

①日辰と京都本隆寺開山・常不軽院日真(1444-528)との間になされた学問交流とその思想的影響を検討した。従来の研究において、戦国期日蓮教団の思想・歴史両面に重大な画期をもたらした上記二師の間に、学問授受の関係(日真→日辰)があったことは既に指摘されていた。しかしながら、両師の関係を思想的影響という観点より具体的な考証が試みられることはなく、研究進展の余地を多分に残していた。そこで、研究代表者は、日蓮教団の教義思想における重要な論点「本迹論」をめぐって生じた「護持此経論」に関する論及を手掛かりとして、日真と日辰両師の学説に比較検討を加えた。その結果、日辰の著述にみられる同論の言及が、日真の主張を踏襲した論法の上に展開されていることが確認でき、さらに日真からの摂取が、従来指摘されている日辰の教義的特殊性を構成する重大要素の一つになっていることを指摘した。

②天文23年(1554)に、日辰と仏寿坊永全(生没年不詳)との間に勃発した「本迹論」をめぐる3箇条の論争について、その問答の往来を記録した『本迹往来抄』写本(立正大学図書館所蔵、未活字史料)の解読を通して両師の異論に検討を加えた。永全は、池上本門寺・比企谷妙本寺第11世仏寿院日現(1496-561)の弟子、和泉国堺に所在する妙法寺(京都妙顕寺末)の僧侶である。永全の師・日現は、関東天台の談義所・無量寿寺(仙波談義所)にて仏蔵坊実海(1460-533)に師事している。こうした日現の影響を受けた永全と、上記①の影響を受けた日辰との論争は、そのまま戦国期日蓮教団の対蹠的学問環境を背景に成立した教義思想の衝突として、当時の思潮を把握するために貴重な指標となり、その意義は単なる両師の教義的異見に限局される問題ではないことを指摘した。