【R1第1種】研究における脱集計化脱中心化 

担当:

社会福祉学部 特任講師 村上美奈子
文学部 教授 田坂さつき

内容:

本研究では、「脱集計化脱中心化」という観点から、研究代表者村上は原爆や震災の絵本研究、連携研究者田坂は臨床哲学対話と福祉ものづくりを、講演会やワークショップ、現地調査などを通して実践し、共にその中から人間の尊厳とその研究や実践のあり方についての考察を深めてきた。

研究代表者村上は、2019年10月12日に広島大学で開催された「教育哲学会第62回大会」の第3分科会「メディアと厄災の教育哲学」において、「原爆絵本研究における脱集計化と脱中心化の試み」と題する研究発表を行ったことを中心に、広島や長崎での実地調査をそれぞれ複数回行い、その後、研究対象地を2011年の震災や原発事故の被災地である岩手や福島にシフトしながら現地を訪れ、脱集計化と脱中心化を軸とする震災絵本研究に取りかかっている。これらの研究の成果は、2020年12月にシドニーで開催予定の「アジアオーストラリア州教育哲学会」(PESA:Philosophy of Education Society of Australasia)で報告する予定であると共に、2020年度末に発行される『人間の福祉』第35号に投稿予定である。また、脱集計化と脱中心化をテーマとする原爆絵本や震災絵本の研究成果を活かし、2020年1月にはフランスの従来から交流のある教育施設を訪問して、その中で原爆や震災の絵本に関する国際的な発信を行い、また、コロナの流行によりアフリカへの渡航はしばらくの間難しくなってしまっているが、昨年以来交流のあるセネガルの教育施設においてそれらの教材としながら教育活動を行う準備も進めている。広島や長崎、三陸や福島の内部の問題としてのみ原爆や震災、原発事故を捉えるのではなく、他の地域や国境を越えてこれらの問題をどう捉え、そのことを通して人間の尊厳をどう考えるかという、「脱中心化」の実践につなげるためである。
今回2019年度にセンター支援費1種の助成を受けて、まず4月に、熊谷キャンパス近郊の埼玉県鴻巣市在住の絵本作家指田和氏にお会いしてお話を伺った。指田氏は、広島の原爆や2011年の釜石での震災の絵本を数多く出版していて、2019年7月にも広島の原爆を題材にした写真絵本(『ヒロシマ 消えた家族』ポプラ社)を新たに出版するということで、その最後の作業に取りかかっている時期だった。研究のテーマである脱集計化と脱中心化は、人間ひとりひとりの尊厳に注目し、その価値を当事者ではない他者とも認め合うことを目的とするものであり、指田氏も私と話しながら、絵本制作のテーマに人間の尊厳を重んじることがあることを改めて自覚したと後日振り返っていた。2019年秋の教職課程の授業内の指田氏の講演をお願いする運びとなった。
指田氏の絵本の出版の際には、広島の「ハチドリ舎」で記念イベントが7月11日に開催されて、指田氏が題材に出会ってから絵本が出版されるまでの貴重なお話を伺い、そのような絵本の出版が「脱集計化」の1つの実践と位置づけられると再確認した。広島という「中心」で開催されたそのイベントの熱量が、絵本を通してどのように「脱中心化」されていく可能性があるのかということが、本研究の核心に関わる部分であると考えた。10月30日の指田氏の熊谷キャンパスでの講演の際には、教職の2つのクラスに加え、社会福祉学部内の4つのゼミが参加した。大学3,4年生の学生たちにとっては、原爆よりも2011年に彼らが小学校6年生や中学校1年生で体験した震災の方が、同時代のできごととして身近に考えやすいようであり、指田氏が震災直後の釜石で小中学生の親や教師に聞いてもらえない話を聴き取りながら絵本を制作していった活動は、脱中心化としての意義がある。
その他、7月27日と28日に広島で行われた「原爆文学研究会」の例会に、教職課程での勤務の都合で27日は参加できずに28日のみ参加が叶った。そこでの平野裕次氏の報告を通して、「脱集計化脱中心化」の一つの実践として位置づけられる原爆絵本や、それに関わる京都の小学校での教育実践を知ることができた。11月23日には、その小学校教諭に絵本の舞台を案内していただき、手作り絵本のカラーコピーなどたいへん貴重な資料をいただいた。
現地調査に関しては、7月29日と30日にかけて、呉市からとびしま海道をたどって訪れた大崎下島での調査を通して、既刊の原稿のテーマをさらに掘り下げるための地道な調査が「脱集計化脱中心化」の実践であることを再確認した。そこからさらに関係者を探し当てて、8月23日に広島でインタビュー調査を行うこともできた。
また、8月22日に長崎平和会館で行われた「平和学習発表会」では、被爆体験の「脱集計化脱中心化」としての継承活動を、中学生がどのように実践しているのかについて知ることができた。さらに、長崎市立城山小学校では、1951年8月以来毎月9日に「平和記念式」が行われていて、2019年12月9日で第821回目を数えたのであるが、それを見学して竹村校長先生へのインタビュー調査を行い、校内の原爆遺構を案内していただいた。さらに原爆資料館で、城山小学校での被爆教員の証言資料を調査し、これらを原爆体験の「脱集計化脱中心化」の実践に位置づけることができた。

連携研究者田坂は、センター支援費2種の助成を受けて、これまで実践してきた進行性難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者との臨床哲学対話と重度重複障害者対象のものづくりを「脱集計化脱中心化」という理念のもとに組み直し、臨床哲学対話の理論構築とその実践を目指した。
具体的には、これまでの臨床哲学に関する論文を「脱集計化脱中心化」という観点から再構成すると同時に、
2019年度の臨床哲学の実践を「脱集計化脱中心化」という観点から組み直すことを試み、将来単著として出版する準備をした。2019年度末には2部7章構成で、序論と結論分を加えて、16万字程度まで原稿ができており、2020年度中に出版を目指している。
臨床哲学対話については、どのようにファシリテートすることによってそれが実現するかを実践的に探求することを目指し、臨床哲学カフェを2019年9月29日(日)13:30~15:30に、横浜医療福祉センター港南で実施した。実施にあたっては、特定非営利活動法人よこはま地域福祉研究センターに業務委託し、医療関係者や市民をリクルートして、バランス良くグループを作った。「よい死」を目指すことはよいことなのか?というテーマで、生命倫理研究者と進行性難病患者の講演を聴いて、立正大学大学院文学研究科哲学専攻の大学院生がファシリテータをつとめる哲学カフェに参加して、哲学対話を通して考える。基調講演は、安藤泰至(鳥取大学医学部准教授 生命倫理学 宗教学)と岡部宏生(日本ALS協会理事・NPO法人「境を越えて」理事長)。医療関係の専門職と一般市民と学生とが、「人と人のあいだ」で起こる不可避な出来事としての死を、超高齢化社会や多死時代と言われる現代、安楽死や尊厳死、終活、ACPなど、人を「よい死」へと導こうとするような言論や活動が盛んになってきている中で、死の瞬間に至るまで「生きて」ことを思い起こし、自己や他者の生と死を見つめ、人の「いのち」を支えることは、単純に「よい死」を目指すこととは違うのではないか、という問題提起をした。その後ファシリテータとして、牛尾憲治(人間集会代表)、増満昌江(日本保健医療大学看護科講師、立正大学大学院文学研究科哲学専攻博士課程)、波多野真弓(日本保健医療大学看護科助手、立正大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程)、栗木亮学(立正大学大学院文学研究科哲学専攻修士課程)がそれぞれ6名の参加者とグループで哲学対話を実施した。

福祉ものづくりについては、一人ひとりのニーズに応えるものづくりでありながらも、同病の他者の表面化していないニーズに応えることを想定して制作することにより、脱集計化と脱中心化を実現することを目指す。
また田坂は、倫理学の授業に進行性難病ALS患者を講師に招き、難病告知から療養に至る様々な経験を語り、尊厳死などの生命倫理問題について議論する場を設けるために、立正大学文学部哲学科の専門科目「倫理学の基本諸問題A」にALS患者(舩後靖彦氏、岡部宏生氏)および重度身体障害児の母児玉真美さんを招き、当事者の語りを受けて、生命倫理の研究者として学生に伝える教員という立ち位置からの脱集計化脱中心化を模索した。
連携研究者田坂は、2018年度にセンター支援費2種の助成を受けて行った研究を「脱集計化脱中心化」という観点から発展させる。ゼミで臨床哲学実習を行う。今年度は、昨年支援費2種で協定を結んだ社会福祉法人訪問の家事業所(横浜市栄区)と、十愛療育会「横浜医療福祉センター港南」で7月から9月にかけて、3日間通所で実施した。それに加えて、都内港区東陽町、大阪府和泉市、和歌山県和歌山市在住の進行性難病ALS患者宅を訪問し、9月16日に神戸大学にALS患者を招き臨床哲学対話を実施した。その際、難病患者のリラクゼーションのための福祉ものづくりのモニター協力者であるALS患者を訪問して、モニターを実施する。さらに、10月18日にはアートミーツケアの一環として、重度重複障害者のための音楽表現を横浜医療福祉センター港南と協働で行い、一人ひとりの表現を分析した。成果報告のために、社会福祉法人訪問の家で報告会を行う予定だったが、コロナウィルス感染危機回避のために中止した。
脱集計化脱中心化を臨床哲学対話によって実現することは、学問的態度としては適切である。脱集計化は、個人史を担っているひとと対話することによって実現されるが、脱中心化は、特定の個人を中心に置くことなくすることであるが、臨床哲学対話の相手を当該倫理問題のステークホルダーを満遍なくリクルートして、実施した。リクルートに恣意的な捜査が入らないように工夫する必要があり、今後の課題となるであろう。