そして直実公発心のきっかけとなった一の谷の合戦が始まります。


義経の鵜越でご存じと思います。
この一の谷では、直実はたいした手柄も挙げられないでおりました。せめ
て逃げ遅れた大将でも討ち取ろうと考えていると、沖の船に向かって馬を泳
がせている武者一人を見つけます。金襴の鶴を縫いあしらった直垂(ひたた
れ)に、黄金造りの太刀をもった武者。直実は、「逃げるとはひきようだ。
戻ってきて勝負しろ」と声をかけます。するとこの武者は戻ってきて、直実
との組み合が始まります。
 坂東一の剛のものといわれた直実ですので、なんなく馬から引きずり下ろし、組
み伏せ、首を掻こうと甲をあげると、自分の息子と同じくらいの年齢で、端麗な容
姿をしています。どこに刀を立てたらよいのか躊躇してしまったのです。直前の戦
いで自分の息子直家が傷を負った。かすり傷ではあったけれど気が気でなく、戦に
集中できなかった。この武者の父が、討たれたと聞いたらどれ程嘆かれることであ
ろう、と思い、見逃そうと考えたのです。
 「お助けします、名は」と直実公が言っても、この若武者は、「名のらなくとも
この頸、人に見せよ。汝にはよき敵ぞ。はやく取れ。」と答えるばかりです。
そうこうしているうちに、後にはこの源氏方の武士たちがどんどん近づいてきます。
直実は涙を抑えながら、「助けてあげようと思ったが、味方が大勢きておりもはや
逃れることはできない。人の手にかけるよりは自分が手にかけ、あなたの菩提を一
生弔います、ご供養します」こう約束して、泣く泣く頸を討ったのです。
このお話は、「平家物語」の「敦盛の最期」という段にあるお話しで、また歌舞伎
でも「熊谷陣屋」という演目で年に1回は演じられているほど人気のあるお話です。
この一件により、以前より武士としての自分に無常を感じていた直実の発心の想い
はいっそう強いものとなったのです。

「平家物語」では次のように結んでいます。

「狂言綺語」(常識を逸し、巧みに飾った言葉)の理といひながら、遂に讃仏乗(仏法
の功徳を讃え、広く人々を悟らせる)の因となるこそ哀れなれ。」

どんなに涙を誘うような悲しくとも美しい話しであっても、実際には人を殺めると
いう常軌を逸した行動である。このことが起因となって人の生き方、命の大切さを
説く仏の道に入ったことは哀れで寂しいことである。他のことがきっかけで仏道に
はいればよかったのに、と結んでいます。
こうした事件を経て、無常というもの感じていた直実公がついに出家するときが参
ります。1192年(56才)、最初にお話しした叔父の久下光公との間に領地の境界争い
が起こります。この熊谷には荒川という川が流れています。荒川というように、今
と違って当時は頻繁に氾濫していたようです。そのたびごとに境界の目印がよくわ
からなくなってしまう。叔父さんからしてみれば、小さいときから世話していたん
だからちょっとくらいいいじゃないか、と。直実公からしてみると、それとこれと
は違う、と。どうにも決着が付きませんので、頼朝公の前で詮議してもらうことと
なったのですが、どうも話しがうまく伝わらない、賄賂でも贈ってもう話が付いて
いるのではないか?直実公は、こう早合点して怒ってしまい、なんと、証文類を将軍
に投げつけ、「もうやめじゃ、わしは出家する」、こう言い残して遂電してしまっ
たのです。とんでもないことをしでかしたというのはお分かりと思います。裁判官
に向かってのこの態度ですから、罪になるのは間違いないことです。

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